夜、風呂屋の帰りに、よく歌の聞こえる路地があった。

子どもの頃の話である。濡れた髪のまま、桶を抱えて親と歩く。煙突の見える角を曲がると、どこか高いところから、女の人の声が降ってきた。よく響く声だった。壁と壁のあいだで音が太って、耳よりも先に、胸のあたりへ届く。けれど、何を歌っているのかは、ひとことも分からなかった。

知らない言葉だった。外国の歌か、と親に訊くと、さあ、と言う。近所の大人は皆、ああ、あの歌か、という顔をするのに、誰の歌か、どこの国の言葉か、と重ねて訊くと、急に首をかしげた。題を知る者がいない。意味を知る者もいない。それでいて誰もが節だけは知っていて、湯に顎をつけながら、低く真似ることができるのだった。

私はその町を離れ、ずいぶん経ってから戻った。風呂屋はとうに潰れて、月ぎめの駐車場になっていた。煙突だけが、取り壊しの順番を待つような顔で立っていた。

ある晩、あの角を曲がって、足が止まった。

歌が、降ってきたのである。同じ歌だった。同じ声、に聞こえた。あれから三十年ちかく経っている。人の声は老ける。そんなことは誰でも知っている。電話口の母の声は年ごとに細くなったし、私の声も、録音で聞き返すたび、知らない中年の声になっていく。それなのに、路地の歌だけが、髪を濡らした子どもの晩のまま、少しも変わらずに響いていた。

声の主を、見ようと思えば見られたのだと思う。物干しのある二階家の、灯りのついた窓は決まっていた。けれど私は角に立ったまま、見上げるだけにした。歌っているのが当時と同じ人なら、もうかなりの年のはずで、あの張りのある響きが出るとは思えない。別の人なら——別の人の喉から、どうして寸分違わぬ声が出るのか。どちらの答えも、すこし怖かったのである。

代わりに、帰り道で理屈を考えた。

意味のある言葉は、よく減る。挨拶の言い方は変わるし、流行り歌は十年で古びる。言葉は道具だから、使う手の形に合わせて、すり減って、すげ替えられていく。ところがあの歌は、意味を運んでいない。少なくとも、この町の誰のところにも、意味は届いていない。荷を積まない舟が傷まないように、何も運ばない歌は、すり減りようがないのではないか。言葉であれば、変わる。あれは言葉になる手前の、ただの響きのまま凍っているから、変わらないのではないか。

そこまで考えたとき、もうひとつの理屈が、あとから足音もなくついてきた。

声のほうも、同じではないのか。

人が歌を覚えるとき、たぶん節だけを覚えるのではない。あの歌は、あの響き方でしか歌えない。路地の幅、壁の高さ、夜の湿り気。それらに合う声の置き場所が、歌のほうに最初から決まっていて、歌う者は誰であれ、自分の喉をそこへ合わせにいく。だから声が似るのではない。同じ場所に、嵌まるのだ。人が歌を残していくのではなく、歌が、代わる代わる人の喉を借りて、自分の形を保ち続けている——。

理屈と呼ぶには、すこし薄暗い理屈である。けれどあの晩の私には、それがいちばん腑に落ちた。

近ごろ、気がつくと、私はあの歌を口の中で転がしていることがある。皿を洗いながら、信号を待ちながら、意味の分からない言葉を、意味の分からないまま。誰かに何の歌かと訊かれたら、首をかしげるしかない。題も知らない。国も知らない。ただ、節と響きだけが、喉の置き場所ごと体に残っていて、たぶんそれで足りているのである。

いつか、知らない路地で、知らない子どもが足を止めて、この声を聞き上げる晩があるのかもしれない。そのとき私の声は、あの女の人の声と、もう区別がつかなくなっているような気がしている。