祖母の子守唄には、意味がなかった。

正しく言えば、意味があるのかないのか、誰にも分からなかった。日本語ではない。かといって、英語でも、中国語でも、近所の物知りが並べたどの国の言葉でもない。ねむれ、とも、いとしい、とも聞こえる箇所はあるのに、その先をたどると、舌が知らない場所へ落ちていく。ロォ、ナィ、シュムレ、と、水を口にふくんだような音が続く。私はその音の上で眠った。意味の分からない言葉ほど、よく眠れるものだと、いまでも思う。

祖母が亡くなってから、私はその唄の正体を、すこし本気で探した。

図書館に通った。方言の本をめくり、消えた言葉の一覧をたどり、しまいには大学の、古い言葉を調べている先生を訪ねた。先生は私の口移しの唄を、目をつむって、長いあいだ聞いていた。それから、こう言った。これは、どこの言葉でもない、と。土地の訛りでもなければ、隠し言葉でもない。ただ、と先生は付け加えた。ただ、これだけ規則正しく音が並んでいるものを、まったくの出まかせと言い切るのも、むずかしい。

つまり、誰にも分からない、というのが結論だった。

私はあきらめた。祖母が小さい頃、誰かに聞いた唄を、子どもの耳でなぞって、音だけ覚えてしまったのだろう。長い伝言のあいだに、もとの言葉は崩れて、意味の抜け殻だけが残った。そういうことにして、私はその唄を、自分の胸のいちばん奥の、開けない引き出しにしまった。

ところが、それから何年も経って、まるで縁のない遠い町で、私はその引き出しを、外から開けられた。

仕事で行った、海沿いの小さな町だった。夕方、宿を探して路地を歩いていると、開いた窓の奥から、女の人が子をあやす声がした。低い、ゆれる声である。私は足を止めた。止めたきり、動けなくなった。

ロォ、ナィ、シュムレ。

祖母の唄だった。同じ言葉、同じ節、同じ、舌が落ちていくあの箇所まで、寸分たがわず同じだった。私は窓の下に立って、心臓の音を聞いていた。この町に、祖母の縁者はいない。私の血のつながった者は、ひとりもいない。それなのに、見も知らぬ人の口から、あの誰にも分からない言葉が、ひとつぶも欠けずに流れ出していた。

声をかけることは、できなかった。

その唄をどこで覚えたのか、訊いてしまえば、答えはたぶん私と同じだ。祖母から、あるいは祖母にあたる誰かから、子どもの耳で、音だけを。意味も知らず、国も知らず、ただ眠る子の上で。鎖をたどっても、どこにも始まりの一人にはたどりつけない。たどりつけないことだけが、はっきりしている。私は、聞こえなくなるまで窓の下に立って、それから宿へ帰った。

帰り道で、ようやく腑に落ちたことがある。

言葉というのは、使われるから変わるのだ、と思う。人が物を頼み、値を切り、嘘をつき、言いそびれる。そのたびに言葉は手で揉まれて、形を変えていく。けれどあの唄の言葉は、一度も使われたことがない。誰も、あれで物を頼んだことはない。値を切ったことも、嘘をついたこともない。ただ、眠る子の上に置かれただけだ。だから、変わらなかった。

そして、私はこうも考えた。あの言葉には、もう国がない。話す者がいないのだから、土地もない、地図もない、辞書もない。それでも、消えてはいない。消えずに、どこにあるのかといえば、唄のなかにある。あの節の上に、最後の話者たちが、自分の国を畳んで持ち込んで、子から子へ、口から口へ、手わたしで運んでいる。土地を持たない国が、ひとつ、子守唄のなかにだけ、まだ残っている。

近ごろ、私は自分の口が、ときどき勝手にあの唄を漏らすのに気づく。

明かりを消したあと、暗い天井に向かって、低く。ロォ、ナィ、シュムレ。意味は、いまも分からない。けれど、分からないまま口にしていると、自分の声が、だんだん祖母の声に近づいていくのが分かる。年をとったから似てきた、のではない。あの国に入るための喉の置きどころが、唄のほうに決まっていて、入るたびに、私の声はそこへ合わせにいく。

いつか私が、誰かの眠る上でこれを歌う晩が来たら、と思う。その子はきっと、意味を訊かないだろう。訊かれても、私は首をふるだけだ。どこの国、と問われて、地図のない国の名を、答えようがない。ただ、その子の耳のなかに、土地を持たない小さな国が、また一つ、変わらないまま畳んで渡される。それで、足りるのだと思う。