百円の箱は、店の外に出される。
雨ざらしにこそしないが、店主が中で目をかける棚とは、扱いがちがう。誰でも触れるように、道に近いところへ。盗まれても困らないものだけが、そこに入る。私はその箱を漁るのが好きである。値打ちで言えば何もない場所に、ときどき、値段のつけようのないものが落ちているからだ。
その日見つけたのは、八センチのCDだった。
短冊のような細長いケースに、日に焼けた写真がついている。若い女の子が、衣装の袖を広げて笑っている。三十年前の春に出た歌で、歌っているのは——いまでは低い声でしずかな歌をうたう、あの歌手である。名前を言えばたいていの人が、ああ、と敬意のこもった顔をする。そして、この短冊の三年間のことは、たいていの人が知らない。
彼女はそのころ、アイドルだった。
歌は、正直に言えば、うまくなかった。音程は危なっかしく、振り付けはサビで両手を振るだけの、三分に足りない歌だった。世間の目も、それなりだった。深夜の番組で軽く扱われ、まじめな音楽の雑誌には載らず、何枚目かが出たあと、静かに消えた。
私は十四歳で、その歌に間に合った。
うまくいかないことの多い年だった。詳しくは書かない。ただ、夜にラジオから三分だけ、あの危なっかしい声が流れてくると、その三分は息ができた。歌に救われた、と言うと大げさになる。そうではなくて、毎晩決まって息のできる三分があった、というだけのことである。十四歳には、それで足りた。
彼女はそれから、歌手になった。
何年か消えて、別人のような声で戻ってきた。低く、静かで、危なっかしさの抜けた、いい声だった。世間の目は手のひらを返し、いまでは実力の人ということになっている。インタビューで経歴を訊かれると、話は二十歳すぎの下積みから始まる。短冊の三年間は、そこに無い。昔の歌は歌われず、盤は廃盤になり、配信の一覧にも無い。若気の至り、と笑い話にすることさえ、しない。存在ごと、消してある。
黒歴史、というのだろう。本人にとっては。
世間もそれに協力している。触れないのが礼儀ということになっていて、誰も困らない。たぶん、それでいいのだと思う。消したい過去を消す自由くらい、誰にでもあっていい。
ただ、と百円の箱の前で私は思った。
有名になるというのは、自分の過去を、知らない人に配ってしまうことでもある。あの三年間、彼女は何千枚かの短冊を方々へ送り出した。その一枚一枚に、誰かの夜が貼りついた。私の十四歳も、その一枚に住んでいる。彼女は自分の中の原本を燃やすことはできる。現にそうした。けれど写しのほうは、もう彼女の手の届かないところで、方々の部屋の、引き出しの奥で、こうして百円の箱の底で、生きのびてしまう。
黒歴史は本人のものだ、と私たちは思っている。けれど有名になった人の過去だけは、そうではない。捨てた当人の知らない場所で、それを宝にしている者がいる。
私はその短冊を買った。百円だった。
家には、八センチの盤を聴ける機械が、もう無い。だからあの歌は、棚の上で沈黙したままである。鳴るのは私の中でだけだ。三十年前の、ラジオの、すこし割れた音で。機械が無いのは、かえって良いのかもしれない。いま聴き直してしまえば、うまくないことのほうが、先に聞こえてしまう気がする。
彼女がいつか、あれも私の歌だ、と言う日が来るのかどうかは、分からない。
来なくてもいい、という気がしている。あれはもう、彼女の歌というより、預かりものだからだ。返さなくていいと言われた預かりものほど、人は丁寧に扱う。棚の短冊は今夜も鳴らないまま、誰かの消した三年間と、私の息のできた三分を、いっしょに抱えて黙っている。