怒っていたのである。
夕方の道は詰まっていて、信号のたびに列が縮んでは止まり、また少しだけ伸びては止まった。前の車は青になってもしばらく動かず、ようやく進んだと思えば、妙に慎重な速度でまた次の赤へ吸いこまれていく。私はハンドルを握ったまま、こんなふうにしか走れないのかと、何度も心の中で言った。
どうにもならないことばかりが、つぎつぎ前に並んでいた。
右から入ってくる車、歩道をゆっくり渡る人、点滅を見ても曲がらない対向車、判断の遅い前の車。どれも理屈としては仕方のないことばかりである。事故よりましだ、安全のほうが大切だ、と頭ではわかっている。けれど、わかっていることと腹が立たないこととは別だった。
信号待ちのたびに、私は前の車の後頭部を見た。
濃い色のリアガラスに、自分の車の輪郭がぼんやり映っている。前の車は同じ場所で止まり、同じような間を置いて進み、同じくらいの遅さでつぎの赤へ向かう。運転しているのがどんな人かは見えない。ただ、その見えない相手が、少しも変わる気配を持たないことだけが、だんだん腹立たしくなってくるのである。
ああいう人は、たぶん明日も同じなのだろうと思った。
明日も青で少し遅れ、曲がるところで迷い、後ろにいる人間を苛立たせるのだろう。そう考えると、自分ひとりが損をしているような気がしてきた。私だけが急いでいて、私だけがこんな列の中で無駄に時間を削られているように思えた。
けれど三つ目の信号で、ふとルームミラーを見たとき、少し妙な気分になった。
後ろの車にも、私の車がきっと同じように見えているはずだった。青になってもすぐには出ず、前の車との間を少し空け、赤ではまた同じ場所に止まる、変わりばえのしない一台として。
私はそこで急に、さっきから何度も同じ信号で止まっていることに気づいた。
ほんとうに同じ信号だったのかどうかはわからない。道路はちゃんと進んでいたはずだし、左の店も右の電柱も少しずつ入れ替わっていた。だが、赤になるたびに見る前の車の背中と、ルームミラーの中で黙って止まる自分の車の形とが、あまりに変わらないので、道だけがどこかで循環しているように思えてきたのである。
私は腹を立てているつもりだった。
変わらない他人に、遅い列に、どうにもならない流れに。けれど、その怒りの形そのものが、さっきの信号から少しも進んでいなかった。前の車が変わらないのではなく、赤のあいだで毎回まったく同じ顔つきになっているのは、むしろ自分のほうかもしれなかった。
次に青になったとき、前の車はやはり少し遅れて発進した。
私はもうクラクションを鳴らさなかった。ただ、進みだした車列の中で、いま自分が少しでも先へ動いているのか、それともまた同じ赤へ戻っていくのか、それだけが前より気になるようになった。