こんどの会で、私は「芝浜」を上げることになった。
女が芝浜をやるのか、と言う人はいまでもいる。面と向かって言わなくても、目つきや、番組を見たあとの小さな間でわかる。けれど師匠は、やってみなさいとだけ言った。あの人はいつもそうである。できるとも言わず、向いていないとも言わず、ただこちらに噺を渡して、どこまで背負えるか見ている。
一方で家元はこわい。
高座そのものより、稽古を見てもらう座敷へ入るまでの廊下のほうが長く感じる。襖の向こうから咳払いがひとつ聞こえるだけで、まだ何も始まっていないのに、舌の裏が乾く。家元は、噺そのものより先に、こちらが何を借りて喋っているかを聞くらしい。誰の調子を真似たか、どこで息を継いだか、その小さな癖を、容赦なく指でつまみ上げる。
私の父も落語家だった。
有名でもなく、大看板でもなく、地方の会に呼ばれては、古びた座布団の上で地味に笑いを取るような人だった。子どものころの私は、父の高座を袖から見ていたわけではない。ただ、家での稽古の声だけは、いやというほど聞いていた。酒を飲んだあとでも、風呂の前でも、父は台所の手前でふいに声を張り、芝浜ならあの魚屋の朝の冷たさから入り、最後には夢みたいな温かさへきれいに戻っていった。
もう父はいない。
それなのに、芝浜の稽古をすると、どうしても途中で父の声が混じるのである。べつにそっくり真似ようとしているわけではない。だが、魚屋が金をひろったあとの、あの半分夢の中にいるような間へくると、自分の喉の奥に、昔の父の湿った声がひとすじ残る。
きのう、家元の前でそれが出た。
私は途中で止められなかった。最後までやらせてもらったあと、座敷の空気はしばらく動かなかった。家元は扇子の先で畳を一度だけ叩いて、それから言った。
「おまえさん、自分の師匠より先に、死んだ親父に教わってるね」
胸のあたりがすうっと冷えた。
叱られるのだと思った。女がどうとか、父の真似が抜けていないとか、そういう言葉が来るのだと思って、私は膝の上で指をつまんだ。けれど家元は、それきり何も言わなかった。ただ怖い顔のまま、次は師匠に見てもらいなさいと言っただけである。
帰り道、師匠は駅までの細い道を並んで歩きながら、珍しく先に口を開いた。
「残る声ってのは、なくならないよ」
それから師匠は、笑うでもなく続けた。
「でも、高座に出す声は、自分で選ばなきゃいけない」
やさしい言い方だった。だから余計に、私は返事ができなかった。
その夜、部屋でひとりでもう一度芝浜を稽古した。窓の外は静かで、遠くで車が一台通る音がした。魚屋が目を覚まし、女房の顔を見るところまで来たとき、喉の奥にまた父の声が上がってきた。私はそこでいったん止まり、息を吸いなおして、自分の声だけで続きを言おうとした。
すると、何もかも黙っているはずの部屋の隅から、ぽつりと先がついた。
「それでいい」
師匠の声ではなかった。家元の声でもない。もっと古くて、酒の気を少しだけ含んだ、あの家の台所の手前で何度も聞いた声だった。
私は振り返らなかった。
振り返ると、そこに誰もいなかったとき、芝浜の最後まで言えなくなる気がしたからである。だからそのまま前を向いて、魚屋がようやく家へ帰ってくるところまで、一息で噺を続けた。