もともと静かな部屋である。
通りに面していないし、冷蔵庫のうなりも小さい。夜になれば、窓の外で風が植木に触れる音がたまにするくらいで、音について困ったことはほとんどなかった。だから、ノイズキャンセリングのイヤホンをつける必要も、本来ならないはずだったのである。
それでも私は、ときどきあの機能を試したくなる。
耳に入れて、外の音を消す。すると、部屋はひとまわり小さくなったように静かになる。空気の縁だけがきれいに削られて、机と壁と自分の呼吸だけが、やけに近くに残る。そこまでは、ただの静けさだった。
だが、三日ほど前から、その静けさの底に、ひとつだけ気になる音が混じるようになった。
カツ、というほど強くはない。コツ、とも少し違う。爪の先で薄い板を軽く押したような、ごく短い、乾いた音である。間は不規則で、一度したかと思うとしばらく止み、忘れたころにまた鳴る。
最初は隣室か、どこか遠くの配管かと思った。けれどイヤホンを外すと、その音はきれいに消える。部屋はただ静かなままで、何も鳴っていない。もう一度ノイズキャンセリングを入れると、しばらくして、また同じ音がする。
どうも、音を消したあとでだけ、残る音らしい。
私は机の脚も、棚の扉も、窓の鍵も確かめてみた。換気扇を止め、冷蔵庫から少し離れ、立ったままでもしゃがんだままでも耳を澄ませた。だが、イヤホンを外した状態では何ひとつわからない。あの音は、静けさを作ったときだけ、そこに浮かび上がってくる。
昨夜、部屋の灯りを落として、暗いまま椅子に座っていたときである。
耳の奥で、例の乾いた音が二度した。私は反射的に顔を上げた。すると、そのあと少し遅れて、今度は左の壁のほうから、低く擦るような気配がした。音と呼ぶにはあまりに細い。けれど、あきらかに何かが位置を変えたあとの、残りかすのような響きだった。
私はすぐにイヤホンを外した。
部屋は、何事もなかったように静かだった。
それ以来、気になる音を確かめたい夜ほど、私はノイズキャンセリングを入れないようにしている。消してしまうと、ほんとうに消えてほしいものまで、あとからはっきり聞こえてくる気がするからである。